サステナビリティ

ARUHIアワード

【ARUHIアワード】
『黄色い旗』 吉岡幸一

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」と当社がコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集した「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品を全文公開します。

「本当に孝江さんによく似ている」

 引っ越しの翌日尋ねてきた吉田と名乗る老人は、慎也が警戒をしているのを気にかけることもなく言った。小柄な体に、黄色い薄手のジャンバーを着ていたが、ジャンバーは大き過ぎるようで、まるでマントを羽織っているように見えた。

 慎也は引っ越しの当日にも吉田が着ている黄色いジャンバーと同じものを着ている人を三人ほど見かけた。登下校中の小学生が交通事故に合わないように見守っているようで、みな黄色い旗を持って子供たちが横断歩道を安全に渡る手伝いをしていた。大変だな、と思ったがそれ以上の感想をもつことはなかった。それが自分とは関係がないと思っていた黄色いジャンバーを着た人が尋ねてきて、慎也は嫌な予感がしてならなかった。
「そんなに祖母に似ていますか。はじめて言われたので、なんだかピンとこなくて」
「目元がたれているところも、唇がふっくらしているところも、福耳なのもそっくりだ。孝江さんも孫が住んでくれて喜んでいるだろう。家は空き家にしておくとすぐに駄目になってしまうからな」
「母が空き家のままにしておくのは危険だからと言うので。大学の近くの下宿を引き払って越してきたんです」

 慎也は正座をしたまま答えた。

 テーブルの真向かいで吉田はぬるいお茶をすすりながら話している。隣の部屋にはまだ開封されていない段ボール箱が山積みになっていた。慎也ははやく荷ほどきをしたかったが、吉田は訪ねてきた理由をなかなか告げようとはしなかった。

 吉田から受け取った名刺にはPTA会長という肩書きが書かれたあった。この近くにある小学校校区のPTAの役員をするようになって十年になるそうだ。

 小学生の孫もいない祖母とこの吉田というPTA会長にどのような接点があるのか慎也には想像がつかなかった。孫は今年二十一歳になる慎也だけだし、祖父は亡くなって十五年以上になるのだから、祖父の知り合いというわけでもないはずだ。もしかして恋人か、と一瞬思ったが、足が悪く引きこもり気味の祖母が恋をしていたなんて考えられなかった。
「孝江さんには感謝しているんだ。急に姿を見かけなくなったから。まさか亡くなっていたなんて……」

 吉田はうなだれて言った。涙は流していないが唇はふるえている。
「失礼ですが、祖母とはどういった関係ですか」

 慎也は恐る恐る尋ねた。吉田はその言葉に驚いたように伏した目をあげた。
「知らないのかい。孝江さんがこの町でどういう暮らしをしていたのかを。家族だというのに……」

 吉田の口調には驚き以上に怒りが含まれていた。慎也は体をこわばらせて身構えたが、吉田は呆れたようにため息をつくだけだった。

 月曜日の昼前に吉田は突然やってきた。この家の近所に暮らす小学生の母親から祖母が亡くなったのを聞いて飛んできたと言った。

 享年八十歳、祖母が亡くなったのは一ヶ月前だった。慎也が大学三年生になった春のことだ。祖母は夜中に急な心臓発作を起こして救急車を呼ぶ間もなく息をひきとってしまった。祖父が亡くなってからずっとひとり暮らしをしていたので、倒れたときに助けてくれる人は側にいなかったし、電話をかけて助けを呼ぼうにも電話機は隣の居間にあって手が届かなかったらしい。

 心臓が悪かったなんて母も知らなかったし、慎也も聞いたこともなかった。もしかしたら祖母だって心臓が良くないことに気づいていなかったのかもしれない。風邪ひとつひかないからと、今年届いた祖母からの年賀状には書かれていた。そんな祖母が亡くなるなんて家族のだれも思ってもいなかった。

 家族だけの葬式を慌ただしく終えたあと、慎也はこの家に引っ越してきた。わざわざ大学までの通学距離が遠くなる祖母の家に引っ越してきたくなかったが、下宿代の負担はなくなるし、大学までの通学費は全額出してくれるというし、それに奨学金を借りることもせず大学に行かせてもらっている身としては協力しないわけにはいかなかった。通学時間は一時間半と大幅にのびてしまったが通えないこともなかった。

 祖母の家で暮らすことになったが、慎也は祖母のことをほとんど知らなかった。祖母に会ったのは数えるほどしかない。高校に入学する前の年までは年に一度、正月のときに一泊二日の日程で母と二人で泊まりにきていたがここ三年は顔すら見ていなかった。飛行機に乗って二時間のところに実家はあったので簡単に来れる距離ではなかったというのもあったが、慎也自身祖母の家に行くよりも家でゲームでもしていたほうが楽しかったからだ。

 祖母は子供が嫌いに違いないと慎也は思っていた。子供の頃は慎也にお年玉こそくれたけど、玩具を買ってもらった記憶もないし、遊びに連れていってもらったような記憶もなかった。どちらかというと注意ばかりされていたような記憶しか残っていない。可愛がってもらったことなんてあっただろうか。
「勉強をしなさい」「立派な大人になりなさい」「車には気をつけるのよ。赤信号で渡ったらだめですよ」「人には親切にするのよ」「きちんと挨拶をできる人になりなさい」「女の子をいじめたらいけませんよ」

 祖母の言うことといえば、何々をしなさいや、何々をしてはいけません、というようなことばかりである。口うるさいな、と当時は思っていたものだ。
「お母さん、そんなんじゃ孫には好かれませんよ」と、母も言っていたものである。

 だがPTA会長の吉田の話を聞いていると、祖母は慎也が思っていた姿と違うのではないかと思った。あまりに口うるさく注意されてきた記憶しか残ってなかったので、祖母の姿を勝手に決めつけていただけのような気がした。もっと話をしておけばよかった、と思ったがすでにその願いは叶わないものとなっていた。

 慎也はたとえ祖母の家に引っ越して来ても何も変わらないと思っていた。大学に行って家に帰ってくるだけの生活が続くだけであると。帰る場所が大学近くの下宿から祖母の家に代わっただけだ。友だちが遊びに来るわけでもないし、そもそも遊びに来るような友だちはいない。大学で学び、卒業して就職して、やがてはこの祖母の家を出ていくだろう。それまでの僅かな時間を過ごす場所にすぎない。通り過ぎるだけの場所ということだ。新しい生活がはじまるといってもなにも変わらないのと同じだと思っていた。

 慎也はそう渇いた心で思いながらも、漠然となにかが足りないと感じていた。だがその足りない何かが何なのかわからなかった。

 築六十年、木造平屋建ての一軒家。それが祖母の家である。家を取り囲む板塀はところどころ割れていて、庭は洗濯物を干すスペースくらいしかなかったが、家は案外広かった。六畳の和室が四部屋と広めの台所がある。一人娘の母もここで高校を卒業するまで暮らしていたそうだ。三人家族でならちょうど良いのかもしれないが、一人で暮らすには広すぎる。仏壇は実家の母が引き取っていったが、家具や家電、食器などはそのまま残っていた。全部自由に使って良いということだったが、家具の中には祖母が着ていた服がそのまま残っていたし、食器などはたとえそれが上等な焼き物であったとしても何となく使う気になれなかった。せいぜい洗濯機や冷蔵庫などの家電を使わせてもらう程度である。ほとんどは大学の近くに下宿していたときに使っていたものを持ってきた。とくに布団などはたとえそれが煎餅布団でも自分が使ってきたものでないと眠ることなどできなかったからだ。

 家が広くなったことと通学時間が大幅にのびたことを除けば、慎也の生活にたいした変化はないように思っていた。まさか引っ越しの翌日にPTA会長の訪問を受け、予想もしていなかったことに巻き込まれようとは思ってもみなかった。
「孝江さんは見守りボランティアをされていたんだ。朝や夕方、子供達が通学するときに道に立って黄色い旗をふっている人がいるだろう。それを孝江さんはしていた。普通は子供が小学校に通っている親がするんだけど、孝江さんはそんなことは関係なく自らすすんでしてくれていたんだよ。だれに頼まれたわけでもないのにね」

 吉田は叱りつけるような強い口調で言った。
「知りませんでした。昨日引っ越してきたときに同じ黄色いジャンバーを着て道に立っている人たちをみました」
「そう、それだよ」
「祖母は気むずかしい人だったので、近所づき合いはむろん、家に引きこもって生活をしているものとばかり思っていました」
「確かに気むずかしかったな。よく通学途中の子供たちを叱っていたものだよ。横断歩道は手を上げろとか、挨拶をきちんとしなさいとか、とにかく口うるさい人だったね」
「もしかして何かトラブルでも起こしたんですか。子供の親御さんと……」
「まさか。孝江さんには皆感謝しているんだよ。見ず知らずの他人の子供に注意をしてくれたおかげで、この町の子供たちは長年交通事故に合わなかったからね」

 吉田は続けて、祖母が亡くなったことを最近まで知らなかったと言った。それは祖母が自主的なボランティアとして見守りを続けていたので、PTAで管理しているわけではなかったからだそうだ。それに祖母はプライベートなことは話さなかったようだ。ひとり暮らしの老人なので、むしろ祖母の方がボランティアを受けた方がよいと他人から思われるのが嫌だったのかもしれない。祖母はプライドが人一倍高かったようだから。

 祖母は生前、葬式は家族だけで静かにあげてほしいと言っていたらしい。近所づきあいもない人だから、亡くなったことをわざわざ付き合いのない人たちに伝える必要はない、と母にしても思っていたに違いない。そのせいで祖母の葬儀を知る人は身内以外になかった。いまになって思えば、祖母は単に母や家族に迷惑をかけたくなかっただけなのではないかと思わないでもなかった。
「すみません。仏壇や位牌は実家に置いていまして。ここにはなくって」

 きっと仏壇に手を合わせにきたのだろうと思った慎也は申し訳なさそうに頭をさげた。
「いえ、たしかにご焼香をさせていただきたかったのだけど、今日きたのはそれだけではないから。じつは孝江さんの孫のあなたに意思を継いでいただけないものかと思いましてな。昨今、共働きの家庭もふえて人手不足でしてな」
「僕に黄色い旗をもって小学生の見守りをしてほしいと言うんですか」
「嫌ですか。孝江さんのお孫さんならきっと協力をしていただけると思ってきたんだが」

 慎也は丁寧に頭をさげて断った。大学の講義がない日もあるし、見守りをしても講義に間に合う日もある。ある程度なら協力できないこともない。だが、縁もゆかりもない子供たちのために自分の貴重な時間を費やしたくなかった。ボランティアに勤しんでいた祖母の孫というだけで協力する義務などない。冷たいのではなく、そういうことはPTAの人たちでなんとかするべきことではないのか。慎也はわけもなく腹がたってくるのを感じた。

 吉田は見た目にもはっきりとわかるほど肩を落とした。まさか断られるとは思ってもみなかったようだった。

 祖母はなんのためにそんなことをしていたのか。実家の母にも伝えず、どうしてボランティアなどに現を抜かしていたのか。地域の安全を守るため、子供たちが安心して学校へ通えるため、などと無理に理由を考えてみても慎也にはやはり自分とは関係のない人たちのために働いた祖母の行動が理解できなかった。間違ってはいないが、合ってもいないような気がしてならなかった。

 吉田が帰った後、慎也は荷ほどきにも力が入らなかった。ぼうっと考え込んでいる間に夕方になってしまった。外からは子供たちの元気な声が聞こえてくる。家の前は通学路になっていると吉田は言っていた。笑い声、友だちを呼ぶ大きな声、駆けていく足音、それらが窓ガラスをふるわせて慎也の耳に届いてくる。

 落ち着かない。外が賑やかだから落ち着かないのではない。祖母が毎日欠かさずしていたことが気になって仕方がなかったのだ。

 鞄を背中にかけ、靴をはいた慎也は外に出ていった。家の前の道を右側に目をやると、小学校からまっすぐに続くほそい道を、ランドセルを背負った幾人もの小学生が歩いている。四つ角は何カ所もあり、信号機も何台も設置されている。いくつかの交差点では車がひっきりなしに横切っていき、慎也の家に向かう道も数こそ少ないが車が通っていく。小学校の門の近くと、五百メートルくらい先に黄色い旗をもった見守りの保護者がひとり立っているのが見えた。

 慎也は近づいていった。五百メートル先にいる見守りの保護者までくると、慎也は話しかけようとしたが、気づいた相手の方からさきに話しかけてきた。慎也とそう年齢が変わらないような茶髪の女で、PTA会長とおなじ黄色いジャンバーを着て黄色い旗を持っていた。
「孝江さんとこのお孫さんと違いますか。いや、そっくりだから。やっぱり見守りのお手伝いをされるんですか」

 茶髪の女は満面の笑顔で聞いてきたが、慎也はただ曖昧に笑って誤魔化すだけだった。

 信号が青に変わるとすぐに横断歩道を渡って小学校の門を目指した。顔を見ただけで、すぐに祖母の孫だとわかることに驚いた。それほど祖母の顔は校区で知られていたということだろうか。

 校門までは一戸建て住宅と背の低いマンションが並んでいた。間間にクリーニング店や弁当屋、学習塾、保育所などがあり、どこか古くて懐かしいような町並みが続いている。学校の裏側の方には工場が多いせいか、作業服を着た大人が自転車をこいでいく姿もみられる。道路の舗装工事をしている人たちの姿も見られる。

 すれ違う子供達から「だれかに似ている」「あの、おばあちゃんにそっくりの人だ」「おばあちゃん見なくなったね」などと話す声を聞きながら、慎也は校門に向かって歩いていった。

 校門に着くと母と同じくらいの年齢の女が立っていた。先ほどの茶髪の女と同じ黄色いジャンバーを着て黄色い旗を持っている。校門の奥には白い二階建ての校舎が建っていて、横一列に並ぶ窓ガラスには赤らみ始めた空と雲が写っていた。
「あらあら、ほんと孝江さんにそっくりだこと。さっき会長が言っていた通りね」

 いきなり投げかけられた言葉がこれだった。
「ああ、どうも」

 慎也はなんと答えればいいのかわからなかった。
「孝江さんはね、雨の日も雪の日も嵐の日だって欠かさず見守りをしていたのよ。わたしなんか雨が降ったらこんなふうに外に立つのなんて嫌だし、夏は熱いし冬は寒いしね。PTAの仕事だから仕方なくやっているというのに、孝江さんたらだれからも頼まれないのに自主的に見守りをしてくれたなんて、わたしには到底真似ができないわ」
「祖母はどうして子供たちの見守りなんかしていたんですかね」

 慎也は素直な疑問をぶつけた。
「決まっているじゃない。子供たちが安全に通学できるようにでしょう。おもしろい方ですね。そんなわかりきったことを聞くなんて」
「そうなんですかね」

 慎也は納得ができなかった。祖母はもっと別の考えがあって見守りをしていたのではないかと勘ぐった。
「さあ、せっかく来てくれたんだから、手伝ってくださいよ」

 女は考える間も与えず慎也に持っていた黄色い旗を手渡した。
「いえ、そんなつもりできたわけじゃ」
「いいから、いいから、さあ、子供たちが事故に合わないように見守りましょう」

 慎也の戸惑いなど気にしないように女は言った。強引さに怒って断るほどのことでもなかったので、慎也は成り行き任せに女の真似をした。
「さようなら」「さようなら」
 と、校門からは次々と子供たちが出てくる。元気に挨拶をする子もいれば、だまって頭だけさげて駆けていく子もいる。
「さようなら」「また明日」
 と、年配の女も一人一人の子供にむかって言うので、慎也も一人一人の子供にむかって挨拶をしていった。
「さようなら」「気をつけて」

 なんだろう。この気持ちは。慎也は声を出していると胸の中が熱くなっていくような気がした。まるで一言一言が祈りの言葉のように腹の底から溢れだしてきた。しだいに声が大きくなっていく。

 ここに引っ越してくる前は下宿と大学の往復だけだった。サークルにも入らず勉強だけをしていたおかげで単位を取りこぼすようなこともなかったが、なにか大切なものが足りないような気がしていた。それがなんだったのか、少しだけわかったような気がした。もしかしたら、祖母もこれまでの人生で足りなかった何かをここで埋めていっていたのではないだろうか。それが具体的に何かわからない。だが、わからない何かを埋めていけそうな気がしてきた。続けていれば、いずれ何が足りなかったのかわかるのかもしれない。

 気がつけば慎也は夢中になって子供たちに挨拶をしていた。
「さようなら、気をつけてかえるんだよ」「走ると転ぶぞ」「宿題をちゃんとするんだぞ」「また明日も来るんだぞ。遅刻するなよ」

 速度の速い車に注意を払い、自転車やバイクに子供たちがぶつからないようにしながら、慎也は声をかけていった。

 いつの間にか校門の前にきていたPTA会長の吉田は、楽しそうに挨拶をする慎也をみつめ微笑んでいた。手には黄色い旗が二本、慎也の分も握られていた。

 慎也はこれから新しい生活がはじまるんだ、と胸の底で感じながら黄色い旗を振りつづけた。子供たちに投げかける声は生き生きとしていた。