サステナビリティ

ARUHIアワード

【ARUHIアワード】
『最後のお引越し』 室市雅則

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」と当社がコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集した「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品を全文公開します。

 いい家だった。

 マンションでも良かったのだけれど、妻が『庭付きの一戸建てに住めたら素敵だろうね』と半分せがまれた格好で家を買った。

 最寄りの駅までは到底歩ける距離ではなくバスに乗り、会社へはさらに電車へ乗り換えて、片道二時間のまるで旅行にでも行くような通勤をおよそ三十年間続けた。

 もう少し通勤に便利な土地が私としては良かったが、私の収入で庭付き一戸建てとなると、ここが精一杯だった。ここだけの話、会社勤めをしている間は、通勤だけでも一苦労であった。だが、退職をしてからは、山が目の前にあり、少し歩けば海もある環境は、退職し犬とばかり過ごす身には大変快適で、ここで良かったなと感じる。

 妻がやりくりをしてくれたおかげでローンの返済も終わっており、貯金と年金で倹しいながらも優雅な日々を過ごすことができた。

 だが、引越しをすることになった。

 私一人だけが。

 この年齢で堅くなってしまった頭が新しい環境についていくことができるか不安がある。しかし、仕方がない。今日が引越しの日だ。

 これまで漫然と我が家で過ごしていたから気にしたことはなかったが、いざ出ていく段となって家を隅々まで見たくなった。

 白い引き戸の玄関には妻の趣味のガーデニングの鉢植えがたくさん置かれ、今は、クリスマスローズが咲いている。脇には犬の散歩用のリードがぶら下がっている。ドアノブは塗装がすっかり剥げてしまった。果たして、一体何度、このノブを回し、玄関を開け閉めしたのだろう。

 飲み過ぎて、上がり框にへたり込んでそのまま寝たこともあったし、息子が中学生の時に、夜遅く帰って来た時には、ここで不動明王のように立って待っていたことも今となっては良い思い出だ。

 玄関を入ってすぐ左が居間。私がこの家でほとんどを過ごした場所だ。ソファに寝転んでテレビばかり見ていた。今日は家族全員が集まっている。

 この部屋には娘が高校生の時に賞を貰ったおにぎりを頬張る私を描いた絵が飾られている。一緒に釣りに行った時の一コマらしい。受賞に勢いづいて娘は美大へと進学したが、今はすっかり普通の主婦となり、孫娘を連れて今日もやって来た。

 孫は私の引越しのことがよく分かっておらず、大勢がいるので楽しそうだ。

 ピカピカであったダイニングキッチンも今では少し煤けてしまっている。『少し』だけで済んでいるのは妻のおかげだ。

 一体ここで何度、妻の手料理を食べただろうか。結婚した当初は、野菜炒めくらいしか作ることのできなかった妻だが、今では鶏レバーのテリーヌなんて、私の好きな焼酎のお茶割りに合うのだか合わないだが、よく分からないものを作っている。

 仲の良い夫婦だったと思うが、一度だけ大げんかをしたことがあった。それは息子が最初の会社を退職することが決まった日だ。

 私は健康であればどんな仕事に就いても構わなかったし、次の仕事を探す前に旅行でも気晴らしに行けばと提案をした。妻も同意してくれるものだと思っていたが違った。
「呑気なこと言っている場合じゃないでしょ」

 そう言ってから「早く次を探しなさい」と続けた。
「一生働くんだから、少しの間くらい構わないだろ。家はあるんだし」
「最初の会社だってやっと入れたのに、すぐ決まるか分からないじゃない」
「何かあるだろ。働き口なんて」
「だから、最初の会社」
「分かった。もういい。寝る」

 私はいつものお茶割りを飲みかけたまま、晩御飯のホワイトシチューも食べずに二階の寝室に入った。台所から布巾か何かを床に叩きつける音が聞こえた。

 次の日には、普通の態度に戻り、結果、息子は旅行でリフレッシュし、新たな会社で今も頑張れているが、これは私が正しかったというわけではない。妻も妻なりに息子を思っていた。

 その寝室に入った。

 子供達が小さい頃は四人で並んで寝ていたが、彼らが家を出てからは、私と妻と犬の川の字になっていた。

 息子の部屋を覗いてみる。

 もう彼は一人暮らしをしており、この部屋を使用していないので、主人がおらず、どこかシンとしている。

 大人の歯に抜け変わる時、彼は歯が抜けるたびにベッドサイドに並べて楽しんでいた。この子はどんな大人になるのか不安があったが、今回の引越しの費用を工面してくれる大人になってくれて嬉しい。

 娘の部屋はすっかり物置になっている。

 いつ使ったか分からない木琴や、いつか使うだろうと言いつつも一度も登場したことがない高枝切りばさみなどが、ここの住人である。

 嫁に行くギリギリまで彼女はこの家にいた。前述したが、美大に行った後、彼女はひたすら絵ばかり描いていた。父親からすればどれも『上手』だと思っていたが、どうもそれで生活ができる程ではなかったらしい。それも人生か。

 これがざっと我が家である。他には一度リフォームをして足を伸ばせる浴槽にした風呂場や、ウォシュレットをつけたトイレがあるくらいだ。

 いかん、忘れていた。

 妻が望んでいた庭だ。

「庭付き一戸建て」がキーワードだったはずなのに、妻は玄関先のプランターでのガーデニングと、季節になればインゲン豆やシシトウを育てていたくらいで、実質、私が庭の主だった。夏は蚊と戦いながら胡瓜を収穫し、冬は寒さに耐えながら里芋を掘り返した。

 手間暇を考えると店で買った方が安いけれど、自分の手で育てた野菜は美味しく感じた。

 一度だけ、スイカが実ったことがあった。受粉を自分で行っても上手くいかず、三年くらいただ葉が繁るだけであった。しかし、ある時は、どうやら蜂がやって来てくれたらしく、偶然というか、自然というか、大きなスイカが一玉だけ実った。

 そうなったら大騒ぎで、家族でスイカを囲んで、妻が包丁で割ると朱色の綺麗な実をしていて、みんなでそれに齧りつくと味も格別だった。

 それ以降、スイカは二度と実らず、私も途中で植えるのをやめてしまったが、市販のスイカでもあんなに美味いものとは出会えておらず、今後も出会えないだろう。

 なお、今、庭を覗くとキュウリのうぶ毛の生えたような茎が夏を待って伸びている。私は食べることは叶いそうにない。

 残念ながら時間が来たようだ。

 我が家ともおさらば。そして、家族ともさようならだ。

 私は最後のマイホームともいえる棺に入ることにする。

 引っ越し先は、随分と遠そうだ。向こうでも楽しく過ごせることを願おう。

 みんな、笑顔で送ってくれよ。