ARUHIアワード
【ARUHI アワード2022】
『渕上家(ふちがみけ)の義理族(ぎりぞく)』 河村みはる
アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」と当社がコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集した「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品を全文公開します。
「義母の気に入るよう、ベージュをベースにコンサバにファッションをまとめたのに、冴えない、つまらないと一蹴されて落ち込む、いたいけな嫁」
そういいながら、壁によりかかり、ポーズをとる淵上翔子。
カメラマンの前園が苦笑する。
「翔子ちゃん、笑顔なしが定着してない?」
アンニュイな目線を返す翔子。
「でも最近、こんなのも出ているんですよ」
撮影に立ち会っている編集部の彩智がタブレットの画面を前園に見せる。
翔子が飾る表紙を初めて担当させてもらった時、笑顔なしでの撮影をどうまとめてよいか頭を抱えていた彩智だったが、それもいまや、ナシからアリに変えてしまっている。
「翔子さんの画像に吹き出しつけて、ほら、『夫の実家にせっかく取り寄せたお土産をもっていったのに、口に合わないって返され落ち込む嫁』とかつぶやかせるんです。あ、これなんかほら、正月に夫の実家に帰るのが嫌でカレンダーをみる嫁、って、スマホみている画像でつぶやかせていて、地味に染みますよね」
「そりゃそうよ。公然と義母とうまくいってないっていう嫁なんてそういないんだもの」
シンプルなワンピースにヴィンテージグッチのベルトがさりげなくアクセントになり、シックな印象を与える。編集長である蒼井嶺のヨーロッパの石畳を歩いていそうな佇まいは、雑誌の風格を体現しているといってよいだろう。ファッションを知り尽くした者がいきつく、引き算にたけたスタイルというものだ。タイムレスなスタイルには同業者にもファンが多く、彩智も憧れのまなざしで髪型からファッションまで盗もうと必死な様子だった。
「翔子ちゃんのお義母さま、とてもきれいな方だから、オープンにやりあっても、どこか絵になるのよね」
タブレットで翔子のインスタを彩智が開く。
上背のある和服の上品な女性がやんわりと花を押しやっている画像。
向かいには悲しげに花を見つめる翔子。このように嫁と姑の日常的なやりあいが、一服の絵のように投稿されているのだ。
投稿をスクロールしていくと、同じように、美しいがなにやら不穏な気配を閉じ込めた投稿が並んでいる。どれもコメントはなくても、ドラマが伝わってくるような、生生しさがありながら、被写体の美しさが謎めいた西洋絵画のような魅力を放っている。雑誌の読者層はもちろん、若い年代の女性からもおもしろがられている。もちろん、一番のファン層は、姑との関係に悩む女性たちだ。
撮影を終えた翔子が嶺たちの方にやってくる。
「お疲れさまでした、翔子さん。雰囲気、すごく出ていました」
「なにファッションっていうのかしらねえ、こういうの」
と嶺がからかう。
「嫁、ひそかにリベンジ計画中ファッション、とか」
と翔子が冗談めかす。
撮影を終え、私服に着替えた翔子がスタジオを後にする。撮影時のファッションとどこか重なる部分を感じさせるスタイル。それは、翔子のイメージが雑誌で紹介する翔子のコーディネートのページに影響を与えているからだろう。
「淡島通りの方に向かってもらえますか?」
タクシーに乗り込み、座席に身をゆだねる翔子。
「笑わなくても疲れはするものね」
とつぶやく。
車窓から流れる並木の姿をぼんやりとみているうちに、頼まれていたものを思い出す。
「すみません、運転手さん、少し遠回りしていただけますか?」
と疲れた体を起こす。
翔子は四谷三丁目の靖国通り沿いでタクシーを降りると老舗の上方鮨の店に立ち寄った。大正時代に創業したこの寿司店は、茶巾ずしでよく知られており、翔子は以前からここの黄味寿司やバッテラが好きだった。東京出身だが上方のこの鮨の上品さがとても口にあった。海老や鯛、アナゴのバッテラを少しずつ詰め合わせてもらい、ほろほろとした身を味わうのだった。黄味ずしも、こはだ、さば、あじと2切れずつ詰めてもらうのが常だった。以前は、原宿の真ん中の明治通り沿いに店があり、とても便利だったので、電話で注文をして取りに向かうことが多かった。でも、その店舗がなくなってしまってからは、足を運ぶ数が減ってしまった。買い物の帰りに立ち寄るのもとても好きだっただけに、店が遠くなったのは大変残念だった。いつもはわたしの差し出す土産に口うるさくものをいう義母だったが、ここの寿司はめずらしく口にあうらしく、時々食べたくなるらしかった。
詰め合わせを受け取りタクシーに乗ると、ひざにのせた折詰の重さがどこか懐かしかった。代々木八幡を過ぎ、代々木公園の横の井ノ頭通りを走っていると、小さな公園から子供たちの声がきこえてきた。公園沿いには桜の木が植えられていた。折詰の重さも加わり、一気に懐かしい記憶が映像となって甦った。そうだ。ここで花見をするのが好きだった。カブリオレの天井をあけ、桜を真上に見ながら、この寿司を味わうのだった。お酒が飲めないのが残念だったが、それにかえても十分なほどの春の楽しみだった。結婚前はひとりで、夫と一緒になってからもきたことがあった。ひざに置いた折詰が、あの人の手の重さのように心地よかった。
「おかえりなさい」
車を降りた翔子をすぐに迎える声があった。義理の妹の柚乃だった。まっすぐな黒い髪がつややかに肩に流れ落ちている。目鼻立ちははっきりしているが、決してきつい顔立ちではなく、どこか翔子とも似ていた。おかげで、実の姉妹に間違われることも多かった。背格好も似ていたこともあったかもしれない。
「ただいま。ちゃんと買ってこられたわ」
「ご機嫌とっちゃって、嫌だわ」
いい忘れていた。その容貌に反し、歯に衣着せぬ物言いが柚乃の常だった。夫の弟の嫁、そしていまの翔子の家族。
翔子は、聞き流すように家を見上げた。昭和の初期に建てられたという和モダンな洋館だ。角度のついた屋根に大きな窓。ドラマの撮影に使わせてほしいとよく頼まれるが、そんなもの、義母が受け入れるわけがない。
確かにその姿はすてきだった。夫に初めて実家に連れてこられてきたとき、思わず見とれたものだった。それは暮らし始めたいまもかわらない。この家があるから、ここに暮らしているのだろうと翔子は思った。
「早く家に入らないの? お寿司が悪くなるじゃない」
そうだった。家には怖い魔女が、じゃなく、怖い義母が待っているのだった。早く捧げものを渡さねば何をされるか。くわばら。
さっきまで雑誌の撮影をしていたと思えないレトロな口調の独り言を頭の中でループさせながら翔子は家に入った。家に帰ったのでなく、家に入ったという表現がぴったりな感じがいつもするのだった。
70に届いたばかりの義母は、いまも背筋がのび、育ちの良さがにじみ出ていた。実家は戦後の財閥解体にあわなければかなりの家柄だったらしいが、義母の代にはもうすっかり庶民寄りだったそうで、葉山に残った別荘だけが名残だった。
「またそんなつまらない恰好をして、とても雑誌に出る仕事をされるとは思えない、冴えない姿ねえ」
いつもと変わらぬ出迎えの言葉だった。それでも折詰はしっかりと義母の手に移っていた。早く食事にするのだろうと思い、部屋に荷物を置きに行こうと思った。
この家には、義母と翔子、義理の妹の柚乃の3人で暮らしている。好き好んで同居したわけではなかった。すべてが、すべてがただ流れでそうなったのだった。
翔子の夫は長男だった。同居は求められず、義父母が暮らすこの家から遠くないところにマンションを整え、暮らしていた。結婚2年目、義父が亡くなった。独りになった義母を夫は心配し、同居を提案しようとしたが翔子は抵抗した。ただ義父は遺言で、翔子の夫に同居を求めていた。さらにショックで義母が体を壊した。さすがの義母も人の子かと翔子が折れそうになった矢先、夫と義理の弟が乗った車が事故に遭い、いっぺんに一家の男衆がそろって他界してしまった。残された義母、翔子、義理の妹の柚乃の血のつながらない家族3人が取り残された。夫も義理の弟も、家柄か人柄か、遺言はしっかりとしたものを残していた。そしていずれも、実家で義母と暮らしてほしいと求めていた。
そりのあわない女3人が暮らす家がどんなものか、彼らに想像力があれば予想できたものを、何の縁だかわからないうちに同居が始まっていた。いずれ再婚すれば出ていくと思われているふしがあるが、なぜだか義理の妹も再婚をあせる様子はなかった。義母も義母で追い出さない程度に、心地悪くさせてくれるのだった。
義母と翔子が無言で制しあう様子を、面白がって撮影し始めたのは柚乃だった。しかも翔子のアカウントを開設し、投稿し始めたのだ。雑誌のモデルをつとめる翔子のシュールな日常は口コミで人気になってしまい、翔子もなかばやけくそでのっていた。
3人には少し広いテーブルで、寿司を並べた皿を囲んだ。会話が弾むわけでもないが、それでもどこか3人には通じるものがあった。思ったことをいいあうのは、心の健康にはよいのかもしれないと、翔子は義母も義妹にも言い返すことはまずしなかった。腹に虫を飼う女より、毒を吐いてデトックスした女の方がある意味健康だし、面倒くさくないと思えたところもあった。黄味寿司のほろほろとした甘みが口の中に広がった。