サステナビリティ

ARUHIアワード

【ARUHI アワード2022】
『退屈なコピペの日常』 木戸流樹

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」と当社がコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集した「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品を全文公開します。

 俺は「毎日同じことの繰り返し」とか考えてしまうような人間にはならないように努力していた。

 コントロールと C、コントロールと V。学生時代も社会人になった今もパソコンで頻繁に使うショートカットキー。コピーとペーストのショートカットキー。

 現実ではこのキーは使わないように、毎日違うご飯を食べて、毎日違う本を読んで、毎日勉強して、運動も欠かさず毎日違うメニューをこなしていた。でも確かに毎日は少しずつ違うけど、ほんとうに少しだけなんだって気づいてしまった。一応、毎日は完全に同じじゃない。だからコピペなんてしてないつもりだったけど、これってコピペした日常を微修正してるだけだったんだよね。

 さて、仕事が終わったのでコンビニで晩御飯を買って帰る。最近はカツ丼にハマっていてここ 2 週間くらいはずっとそれだ。自炊してた頃より食費はちょっと増えたけど、本も読まなくなったしジムにも通わなくなったし、全体の出費はかなり減った。同じことの繰り返しの毎日を受け入れた後の方が気持ちが軽い。気持ちが軽いと体も軽くなる。今日は駅まで走って帰ろう。

 コンビニの袋が暴れないように気をつけながら半分スキップのような小走り。ガッ。あ、歩道の段差につまずいた。ズシャァ。こけた。手を擦りむいた。痛い。前を見るとカツ丼が袋から出てひっくり返っている。一緒に持っていた仕事用のカバンの上で。あーあ、変に普段と違うことをするとこうなる。いや運動不足になったからかな。……どうでもいいや。コントロールと Z。コントロールと Z。コピペはあんなに簡単なのにアンドゥはできないのかよ。ちょっとつまずく前に戻るだけじゃないか。閉店したカフェの窓に映った情けなく泣いている自分と目が合う。こんな自分を認めたくなくて目をそらす。
「あー、クソッ!」

 涙が止まらない。コピペして反転しただけのつまらない世界の自分がまだこっちを見てい るような気がする。もう一度窓の方を見る。高校の制服を着た俺が茫然とこちらを見ている。

 それから窓の中の俺は回れ右をしてどこかへ走って行ってしまった。

 あーあ、高校生の自分に見捨てられた。こんな大人になった自分を見て失望したのかな。そんな馬鹿げた妄想のおかげで少し冷静になった。涙は収まった。ぐちゃぐちゃになったカバンとコンビニ袋を拾い上げる。カツと玉子をコンビニ袋に入れて縛る。ベトベトするなあ。服装を整えるために窓を見る。…あれ、俺がいない。窓には後ろの建物と道路を行き交う車だけが映っている。

 電車に揺られながら外の景色を眺める。やっぱり窓に俺は映っていない。その分いつもより景色が鮮明に見えて綺麗だ。いや、いつも外の景色なんて見てなかったか。この電車は時速 100km 近くのスピードで走っている。地上に落ちている夜の光たちはなんとかそのスピードについてこようとするけど、ゆっくりと離されていく。バイバイ。空を見る。君たちはずっとついてきてくれるんだな。家まで来てくれたらちょっと高いお酒を飲みながら語り合おうか。

 自宅の最寄り駅に到着し、改札を出ると後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、カズヤ―。」
振り返ると幼馴染のユキコ。俺は思わず叫んでしまった。
「俺が見えるのか!?」
「は?何言ってんの。頭おかしくなった?」
「いや、俺、消えちゃったと思って。」
「意味わかんない。疲れてんの?」
「よかったぁ。よかったぁ。おれ本当に消えちゃったのかと思って、どうにか冷静になろうと思って、おうちでお星さまと語り合う妄想をしてる自分を妄想したりして……」
「落ち着け落ち着け、何があったの。」
「え、いま鏡持ってる?」
「は?いや持ってるけど。」
「ちょっと一緒に鏡のぞいてくれ。」
ユキコが呆れながら鏡を取り出す。二人で鏡をのぞき込む。
「え、ちょっと待ってこれどういうこと?」鏡にはユキコの顔だけが映っている。
「俺にも分かんないから情緒不安定になってるんだよ。」
「ちょっとさがってみて。」
カシャ。携帯のカメラで俺を撮る。
「え、カメラには映るよ。ほら。」
「いや余計怖い。」
「いつからこうなったの。」
「さっき。仕事の帰りに駅まで歩いている途中。」
「消えた瞬間は見たの?」
「見た。なんかふと顔を上げたらお店の窓に制服を着た高校生の自分が映ってて、そいつが逃げてった。」
「なるほどね。なら探すしかないね。」
「この状況受け入れるの早くない?」
「グダグダ言ったところで目の前の事実は変わらないからね。」
「かっこよ。」
「高校生のアンタが行きそうな場所、心当たりないの?」
「……わかんない。」
「じゃあ、高校生のアンタが逃げたときってどんな状況だった?」
「えっと……、俺が道で転んじゃって、号泣してた。」
「いや子どもか!そりゃ大人になった自分が道で転んで泣いてたら絶望してどっか消えるわ。」
「何も言い返せないな。」
「とりあえずさ、制服着てたんだったら私たちの高校に行ってみない?」

 駅からバスで 30 分。母校に到着。
卒業してから初めて来たな。懐かしい。ここにいるときは何もかもが楽しかった。ただ毎日ダラダラと授業を受けて、部活をして、友達と全く生産性のない会話をしながら帰る。それだけだったのに、そんな他愛のない日々が楽しかった。
「なに感傷に浸ってんのよ。」
「いや、そういえば裏庭の門ってまだ鍵壊れっぱなしなのかなって。」
「あ、そういえばそうだったね。簡単に入れるじゃん。」
「さすがに修理してるでしょ。」

 裏庭に回る。門は簡単に開いた。もう 10 年近く経つのに直っていない。大丈夫かこの学校。ユキコはそんなことまったく気にしない様子でさっさと中に入っていく。振り返って手招きをしてくる。そして子どもみたいに無邪気な笑顔でこう言う。
「早くこっちに来なよ。」
「今行くよ。」
俺は小走りでユキコを追いかける。
ユキコは意地悪な笑顔でこう言う。
「また転ぶよ。」
「ちゃんと気をつけてるよ。」

 一通り探索し終わって、ベンチで休憩。実際のところ、ただ学校を散歩するのが楽しくて本来の目的なんてどうでもよくなっていた。
二人で空を見上げる。満天の星。ユキコは満面の笑顔でこう言う。
「今日星綺麗だね。」
「そうだな。」
こんな他愛のない会話をしたのはいつぶりだろうか。学校に来てからずっと笑顔のユキコ。俺はその笑顔に見惚れている。自覚してしまうと何故か急に恥ずかしくなって前を向く。校舎の窓に映る高校生の俺も同じようにユキコに見惚れている。ん?あれ。見つけた。ユキコと二人で何か話してる。あ、なんか俺、ユキコに思いっ切りビンタされてる。
「あんなこともあったね。」ニヤニヤしながらユキコはそう言った。
「懐かしー。ていうか高校生の頃から同じコート着てるんだね。」
「気づいてなかったの。」
「だってあの後ほとんど話さなくなったし、覚えてないよ。さすがに中学生の頃は着てなかったでしょ?」
「うん。」
「ポニーテール。そういえばさっき駅で鏡覗いたときポニーテールだったな。今髪おろしてるのに。あれ、もしかしてあのときから高校生のユキコが映ってた?」

「気づくの遅い。」
「でもなんでユキコも?」
「なんでだろ。……いつもと違うことをしたからかな。」
「いつもと違うことって?」
「カズヤに声をかけたこと。実は毎日仕事の帰り同じ電車だったんだよ。でも最後に話したのってあれっきりじゃん?だからずっと知らないフリしてた。」
「じゃあなんで急に声かけてくれたの?」
「んー、暇だったから。毎日同じことの繰り返しで。」
「あー、俺も一緒だ。同じことの繰り返しの毎日を受け入れてるフリしてたけど、なんでもいいから変化が欲しくて走ったんだ。結果、腕は擦りむくし晩御飯も無くなった。」
「変化ちっちゃ。」
「うるせー、何したらいいか分かんなかったんだよ。でも、泣いたのは 10 年ぶりくらいだったな。」
「なにで泣いたの。」
「もちろん転んで痛かったからじゃないよ。なんか色んな思いが溢れちゃってさ。」
「いやそれくらいわかるよ。聞いてるのは 10 年前に泣いた理由。」
「……今見てたじゃん。」
「泣くとこまで映らなかった。」
いつの間にか窓に映る二人は元に戻っている。
「目的は達成したし、そろそろ帰ろうか。」そう言って俺は立ち上がる。
「でもなんで高校生だったんだろうね。」
「多分、俺らにとって毎日同じことの繰り返しだなーって思いながらも退屈じゃなかった最後のときだったんじゃない?」
「なるほどね。今日はそんな過去を思い出して、その虚像を追いかけてみたってわけか。」
「久々に非日常的な一日で、楽しかったよ。」
「ねぇ、晩御飯なくなっちゃったんなら今から食べに行かない?」そう言ってユキコも立ち上がる。
「アリだな。どこ行く?」
「学校出てちょっと南に下ったとこにあるラーメン屋覚えてる?」
「あー!覚えてる!あそこ今からでも間に合う?」
「ギリギリ走れば間に合う!確か夜の1時まで開いてるはず。全然味変わってないよ。」
「ラーメンの味だけは変わらないのが一番。」
「注文してから出てくる早さも異常だし、あれ絶対下でコピペして出してるよ。」
心地良いしょうもない会話。そしてラーメン屋までのダッシュ。ガッ。盛大に転ぶ俺。二人で大笑い。これから始まる新しい日常。それもいつかは同じことの繰り返しになる。でも、退屈ではないっぽい。