サステナビリティ

ARUHIアワード

【ARUHI アワード2022】
『共鳴家族』 秦 大地

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」と当社がコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集した「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品を全文公開します。

美咲~、お風呂沸いたわよ~

 待ってましたとばかりにわたしはお風呂に駆け込む。一番風呂に飛び込んで、頭のてっぺんまでお湯の中に沈めて、十数えて浮上したときに気づいた。あ、パンツ忘れた。そんでもってタオルもない。うわー、やっちまったわ。仕方がない。誰かに頼むか。
ねえぇぇ~、誰かいるうぅぅぅ~?

 お風呂の中から叫ぶと、声が反響してエコーがかかる。
いるよー」と母の声。母は声がでかい。
パンツとタオル忘れたんだけどぉぉ~。持ってきてぇぇ~
お母さん、いま料理中~

 えー、それは困る。じゃあ、代打、弟。
裕太いるぅぅ~?
「いないー」と声変わりしたての低い声で裕太が答える。
パンツとタオルぅぅ~
「弟にパンツ持ってこさせるJKがどこにいんだよ!」
えぇ~、なんでぇぇ~? 照れてんのぉぉ~?

 返事はない。むむ、強敵だな思春期ボーイめ。
だめぇぇ~?
「無理!」
タオルだけでいいからぁぁ~

 あーあ、誰も助けてくれない。まったく、世知辛い世の中ですなあ。仕方がない。とりあえずシャンプーして体洗うか。長風呂してれば後でお母さんが持ってきてくれるだろうし。っていうか、このシャンプー早くなくならないかな。べつに嫌いじゃないけど、香りがいまいちなんだよね。でも、無くなってもどうせまたこれか。家族用のシャンプーにいいやつ買ってもらうのはたぶん無理だもんね。

 いっそわたし専用のシャンプー置こっかな。二千円くらい出せば髪にいいやつ買えるのかな。わからん。こんど友梨香にでも聞いてみるか。それがきっかけで仲直りとかできるかもしれないし。

 いや、仮にその作戦が上手くいったとしても、友梨香に聞いちゃったらエグい勧誘受けそうだな。トリートメントはこれとかヘアオイルがどうとか、ビューティースクールが始まっちゃいそう。「月一で美容院行ってトリートメントしないと!」とか言われちゃっても、そこまでお小遣いもらってないしな。ってか、素材がこれだからもはやトリートメントがもったいないまである。
「タオル置いとくよ」

 !!!

 ドアの向こうで裕太の声がする。

 おお、持ってきてくれたか! うんうん、わかってたよ、裕太はやさしい子だって。
「ありがとよぉぉ~。一緒にお風呂入るぅぅ?」
「入るわけねえだろ」

 ははは、照れてる照れてる。まあ、ほんとに入ってきたらわたしもちょっとびっくりするけどね。うーん、それにしても良きツンデレに育った。将来モテるな、ありゃ。

 シャワーをひねって少し熱めに設定したお湯で、泡を洗い流す。

 水っていいよね。なんか、体に溜まった、どよんとしたものすべてを流し去ってくれる感がある。シャワーとか、永遠に打たれてられるもん。今日はシャワーだけでいっかっていう日も、けっきょく延々シャワーに打たれて、かえって水道代かかってるみたいなことも普通にありそうだもん。

 でも、長風呂も長シャワーもわたしだけなんだよな~、家族で。友達にもあんま共感されたことないし。不思議。温泉がいいってのはみんな共感してくれるけど。

 あーあ、温泉行きたいな~。スーパー銭湯でもいい。とにかく大っきいお風呂に入りたい。
自分の体とお湯の境界線が曖昧になって、身体(からだ)からふわっと解放されるようなあの感じ?最高じゃない?

 って言うと、それはわからんって言われちゃうんだけどね~。ふっふっふ、きみらも早くわたしのレベルにまで到達しなさい。なんてね。

 家のお風呂は足を折りたたまないと入れないけど、でもこれはこれで味があってよい。湯船に肩まで浸かって、最近鬼リピしてる歌を口ずさんでいたら、気づけば熱唱してた。あるある~。

 有名なアニメの劇場版が大流行して、わたしは弟にフラれたから友梨香たちと昨日見に行ったんだけど、めちゃめちゃよかった、映画は。まじで。

 特にもう、主題歌が無敵。最強。お風呂の中でこれ熱唱できるの最高。

 わたし上手いんじゃね? 歌手になれんじゃね? とか思いつつ感情込めて歌ってたら、
うっせえよ」と弟の声。

 素直じゃないね~、まったく。お姉ちゃんの美声が聞けて嬉しいんでしょ、ほんとは?わかってるんだから、ちゃんと。まあでも、思春期だから仕方がないか!

 いや~、それにしても気まずかったな~、昨日のあの瞬間。映画館から出たら友梨香の彼氏にばったり会って、そしたらその隣に3組の早見さんがいるんだもん。見事に引きつってたよね~、全員。気を利かせて「あれ、二人たまたま?」って、もう精いっぱいの作り笑顔で聞いてあげたのに、鏑木君も早見さんも噓つくの下手で、二股掛けてたのバレバレで、しかも早見さんなんか、鏑木君が友梨香とつき合ってるのわかってて略奪ねらってるんじゃない、あれ? もう修羅場ですよ修羅場。

 気まずいまま別れて、友梨香ともほんとはその後スタバに寄って映画の感想言い合おうって話だったのに、その場で解散になって、そんで今日学校行ったら、いつものお弁当メンバーから明らかにわたしだけ省かれてて。

 ハブられているのわかって、一瞬頭まっしろになったけど、これ引いたら駄目なやつだと思って「えー、今日一緒にお弁当食べないの~」って明るい表情作って近づいていったら、
「え、空気読めないの? あんなことしておいてよくそんなヘラヘラしてられるね」って、友梨香が。

 手のひらでやわらかく水面を叩く。音も立たないくらいにそっと。くるりと手のひらを上に向けて、ぼんやりと見つめる。

 わたし、何も悪いことしてなくない? むしろ頑張ったと思う、我ながら。なんとか気まずい雰囲気にならないように気を遣ったし、友梨香を裏切ったのは鏑木君と早見さんだし、でも、ハブられちゃうか~。ムズいな、女子。まあ、どっかに怒りのはけ口見つけないとやってらんないのはわかるけど、でもそれ、わたしにじゃなくない?

 ずっともやもやして、午後ずっと一人でぽつんとしてたら、朱莉とかさっちんとかが声かけてくれて、どうしたの、何かあったの、って聞かれても、言えるわけないじゃん。わたしが勝手にあのことを話しちゃうのは違う、っていうか良くないことだと思うし、でも、「友梨香なにか言ってた?」って聞いても二人も黙っちゃって。

 泣かなかった。へっちゃらな顔して学校終わるまでちゃんといて、そのあとは塾で英語の授業を1コマ受けて、塾に向かいながらも、塾から帰りながらも、「よし! 考えないようにしよう!」って決めて、イヤホンはめて、いつもよりちょっとだけ大きい音量で音楽聴いて、帰ってきて「ただいま……」って言ったら、「おかえり~」って、お母さんが言って、「おかえりー」ってお父さんが間延びした声で言って、「おかえり」って裕太がゲームやりながらぼそっと言って、わたしのただいまが三倍になって返ってきて、それがたまらなくなって、リビングには寄らずに自分の部屋に閉じこもった。

 一人でベッドの上で体育座りしてうずくまってたら、「お風呂どうする~?」ってお母さんが聞くから、「入る~」って返事して、「いつ入る~?」って聞くから、「すぐ入る~」って言ったら、すぐにお風呂沸かしてくれて、やった! 温かいお風呂に浸かれる、って思ったら少しだけ気が軽くなって、軽くなった……のに、うーん、やっぱり忘れるなんて無理だ~。

ねえぇぇ~、誰かいるうぅぅぅ~?

 お風呂の中から叫ぶ。返事はない。でも、わたしは知ってる。みんなリビングに居るってこと。わたしの家族はいつもみんなリビングにいる。それぞれ自分の部屋はあるけど、みんながリビングにいて、スマホを見たりゲームをしたり、テレビを見たり宿題をやったりしている。全員が別々のことをしていても、互いに背を向け合っていても、それでもみんな、お父さんもお母さんも裕太も、そしてわたしも、自分の部屋よりもリビングにいることを選ぶ。

 いつもつながっている。ちょうどいいかんじに繋がっている。
ぴちゃん、と天井から水滴が湯船に落ちる。
ねえぇぇ~」わたしはしゃべり続ける。「今日さあぁぁ~、嫌なことあってさあぁぁ~
リアクションはない。それでもかまわない。「友情ってさあぁぁ~、けっこう簡単に壊れるみたいだわぁぁ~。その人のためにって思ってやったことでさぁぁ~、簡単に憎まれたり嫌われたりしてさぁぁ~、女子ってのはめんどくさいのですよぉぉ~」

 わざと明るい声で、他人事みたいなテンションで報告する。心配させないように。不安にさせないように。実際、ひどいいじめに遭ったわけじゃないし、ただ無視されただけだし、ただ邪険にされただけだし、ただ……
ぼっち飯とかってさぁぁ~、やっぱトイレが定番なのかなぁぁ~。屋上は鍵閉まってて出れないらしいんだよねぇぇ~。ドラマとかだと、そこで他クラスの男子と運命的な出会いとかするんだろうけどぉぉ~、現実はそう上手くはいかないっぽいわぁぁ~

 マジでどうする? マジでどうしたらいいの? トイレでご飯とか、もう陰キャ感とハブられてる感が爆発してない? ってか、お母さんが作ってくれたお弁当トイレで食べるとか絶対嫌なんだけど。

 うーん、でもこれは自業自得なのかな~。男友達とか他クラスの友達とか作っとくべきだったわ~。あと学校1年以上はある? その間ずっとそんなのが続くの? え、マジか……

 だめだめ、マイナス思考ダメ、ゼッタイ! 夕飯のときはけろっとしてなきゃ。へっちゃらな顔してなきゃ。でも……
美咲~」母がわたしを呼ぶ。「ご飯できたわよ~。早く出てきなさ~い

 うぅぅ、声が出ない。お湯の中から抜け出せない。

 ぴちゃん、と水滴が水面を打った。その波紋が小さな円をつくって弱々しく拡がっていく。

 そう言えば人間の体って7割が水分って生物の田村が言ってたな。やばいな、それ。冷静に考えると。わたし、四捨五入すれば水じゃん。

 もう、このまま溶けてぜんぶ水になっちゃえばいいのに。
美咲~、早く出てきなさ~い。裕太が心配してるわよ~
してねーよ!」弟の声が裏返る。

 !!?

 さては動揺してるな? かわいい弟め。仕方がない。出て行って安心させてやるか。むふふ、自然と笑みがこぼれてくる。

 大好きだよ。大好きでいていいよね? お父さんもお母さんも裕太も、ずっと大好きでいていいよね。わたしは大きく息を吸い込む。
十数えたら出るぅぅ~

 そう声を張り上げるとわたしは、とぷんとお湯の中に顔を沈めた。